チキン南蛮発祥のお話
こんにちはー!
おぐらのおじさんです。
お盆休み、いかがお過ごしですか?
おぐらには暑い中、たくさんのお客様にご来店頂いています!
ありがとうございます^^
おぐらのチキン南蛮を目当てに来店頂くお客様も多いので、チキン南蛮誕生のお話について再掲したいと思います。
ちょっと長い記事ですが、どうかお付き合いください!
(発祥について最近いろいろなお話がネット上で出てきていますが、最近推測によって作られたようで、おぐらに伝わる話とは違い、困惑しています)
チキン南蛮生みの親は、おぐらの創業者 甲斐義光の兄である甲斐照幸です。
甲斐照幸は延岡おぐらの現社長の父にあたり、ハンバーグを研究してメニューに取り入れたり、アユやなのほとりで食事をする形を初めて作ったりなど、研究熱心で新しい発明をする人でした。
(ユニークな人で、孫の私たちにおじいちゃんではなくパパと呼ばせていました笑)
チキン南蛮がおぐらのメニューに登場したのは昭和40年以前であると言われています。
甲斐家の実家は延岡にあったため、照幸は延岡の自宅でチキン南蛮酢の試作を繰り返ししていて、最初はとても酸っぱかったと照幸の妻カツ子は話していました。
そういう意味では、延岡がチキン南蛮誕生の地と呼べるかもしれませんね。
チキン南蛮開発のきっかけは「もったいない」だったそうです。
当時は鶏肉を丸ごと仕入れており、モモ肉はチキンカツなどで商品になっていましたが、ムネ肉はあまり使われていませんでした。
戦後の貧しさを知る照幸は、その商品にならなかったムネ肉をどうにかして美味しく食べられないか考えていたところ、子供たちがアジの南蛮漬けの甘酢に唐揚げをつけて食べていたところから発想したと言われています。
タルタルソースをかけるのは、スルメにマヨネーズをつけるところから思いついたとも。
硬くパサパサになりやすいムネ肉をジューシーに美味しく、ご飯に合う味にしたのが「チキン南蛮」という料理法なんですね。
私が子供の頃、照幸に尋ねたことがあります。
「何でチキン南蛮の特許取らんと?」
いろんな人にきかれたそうですが、照幸は「そんなことしたらみんな気軽に出せんなるだろう」と答えました。
みんなが美味しく食べられるお惣菜だから、独り占めしてはいけないという想いがそこにありました。
そのおかげもあってか、今ではチキン南蛮は宮崎県の郷土料理と言われるほどに愛される料理となりました。
私はチキン南蛮の味自体ももちろん大好きですが、照幸のこの想いがこもった料理という点でも、この料理が大好きです。
その想いに恥じぬよう、これからもお客様に喜んで頂ける料理づくり会社づくりに励んで行きたいと思っています!
これからもどうぞよろしくお願い致します。
最後に、おぐらはチキン南蛮の発祥争いをするつもりはまったく無いのですが、いろいろと創業者や開発者の話が変わってしまっているため、少しだけそれについて書いておきたいと思います。
(おぐらでは、そんなことよりもチキン南蛮でお客様に喜んで頂くことが一番大事ということで一致しています)
Wikipediaなどでは延岡市内にあったロンドンというお店でおぐらの創業者たちが共に働いており、そこのまかない料理がチキン南蛮の原型であると書かれていますが、おぐらの創業者がロンドンで働いたという事実はありません。
ロンドンの前に「翁」というお店をやっていたたるいさんという方が照幸の妻の家と昔から懇意にしており、創業者がおぐら創業後上手くいかず、照幸の仲立ちでデミグラスソースやカレーソースの作り方を教わりました。
それが洋食店としてのおぐらの原点であると言えます。
そのたるいさんがチキン南蛮の原型となる料理を作っていて、照幸がそれを食べたことがある可能性はありますが、それは推測の域を出ません。
また、時期的にももう一つの発祥と言われるお店の創業者の方が修行されていた時期とも大きなズレがあります。
そして、チキン南蛮は、もともとタルタルがかかっていなかったものにタルタルソースをかけることを思いついた・・・のではなく、そもそも「揚げた鶏肉を甘酢に漬け、タルタルソースかけた料理」こそがチキン南蛮として開発された料理なのです。
有名になってくると、いろいろと話が歪んでしまうようですね。
また、「おぐら」という店名は固有名称ではないので、まったく関係ないお店が「おぐら」を名乗っているケースがございます。
このおぐらのおじさんマークがないお店は本来のおぐらとは一切関係がありませんので、ご注意くださいね。
ちょっとカタいお話になってしまいましたが、何はともあれ、揚げたてチキン南蛮を頬張り、ご飯と一緒に楽しむしあわせを是非お店で味わってくださいね。
では、良い一日をお過ごしください!